民藝旅 / MINGEI

民藝旅 vol.2 沖縄 \原付🛵与那国島探検 2/

 

道は続くよ、与那国探索。

カップ焼きそばをすすった売店には、意外と、なんでもあった。
ココナッツミルク、新作のポテトチップス、ペットボトル飲料、見知らぬアジアの怪しいスパイスまで、なんでもござれ。

猫様いっぱい、なんだか楽しい与那国時間。

 

*  *  *

 

山口陶工房さんで聞いてみた。
「この近くで、織物をしている”みつよさん” の家をご存知ですか?」

みつよさんというのは、うぶる作りのふみえさんのお友達。

「あなたが行くかもって言っておいたわよ〜」とふみえさん。ちなみに、みつよさんの住所についてはいつも通り。

 

島の人に聞いてごらんなさい、大丈夫!わかるから。

 

今回はどうだろう…内心、ヒヤヒヤとしながら山口さんの顔を伺う。

 

「あぁ、大きな道に戻って、最初の道を左に曲がった1軒目よ!」

 

なんとも頼もしい、島人情報ネットワーク。おばあちゃんの知恵は、人生の集大成。おばあちゃんの言うことは、やっぱり間違い無いのだ

 

山口の奥さんに教えてもらった通り、大通りに出ると、すぐ左に曲がる一本道があった。
トロトロと原付で進むと、看板を発見。ほっ。

 

郵便ポストに名前がある。間違いない、ここだ。

 

「どうぞ〜」

 

玄関から声をかけると、女性が迎えてくれた。アンバーブラウンのタンクトップに、ロングスカート。髪はひとつに束ねて爽やかだ。服装やインテリアから、センスの良さがにじみ出る。また、底抜けに明るい声から、煌びやかな夜を楽しんだ青春時代が見えた気がした。

 

 

*  *  *

 

 

とろんとした琉球グラスにたっぷりと、冷たい麦茶を注ぎながら、みつよさんは自身の移住物語を話してくれた。

みつよさんは、東日本大震災のあと、自分の生きる場所を探して日本中を旅したそうだ。その中で、最後にたどり着いたのが、最果ての与那国島。

飛行機のタラップをおりて、島の土を踏んだ時。「わたし、ここに住むかも。」と感じたそうだ。そして帰るときには仮住まいの部屋が決まり、あれよあれよと言う間に、家を持つことになったそうだ。

スピリチュアルなことはよくわからないけれど、「島に呼ばれる」とは、こういうことかもしれない。

 

 

青白のクロスがひかれたテーブルに、桃色がかったテーブルセンターがしかれていた。

 

「これね、月桃のマット。わたしが織ってるの。」

水を含んだふきんで拭くと、ふわっと月桃の香り。

むか〜しむかし、いや、何年か前、近所のおじいが山から大量の月桃を取ってきそうだ。
何かに使えないか、考えて試行錯誤して、ついにたどり着いたのが、この月桃マット。

糸はがじゅまるで染めて、柔らかな桃色。
西洋の織機で目を手作業で詰めながら織る、完全オリジナル。

 

 

みつよさんは、これを玄関マットにしたり、噂を聞きつけた人に特注で作ったりしている。
島の生活から生まれた、新しい日用品。

伝統工芸とよばれている品々も、こうやって生まれたのかも。

 

 

 

 

 

みつよさんは、絹がパールのようにチカチカと輝く、麻製の半衿を見せてくれた。
しかし、これは与那国織ではないらしい。みつよさんは正式な織女として組合に登録されていないからだ。

 

 

声をひそめて、裏話をしよう。

与那国織の組合には、織女になるための年齢制限があったそうだ。
63歳以下。みつよさんが与那国島に到着したのが60代後半。ちょっとだけ、間に合わなかった。

それでも、どうしても与那国島で織物を学びたかったみつよさんは師匠を見つけ、その方から織物を教えてもらったそうだ。ただし、島の正式な織女ではないから絹100%の織物を作ることは許されていない。小さな島の伝統は、厳しいルールで守られているようだ。

 

(織物のパターン図。細かい設計の上で作られる織物。クリエイティブだ…!)

 

 

*  *  *

 

 

太陽が傾いてきた。温かい島風が汗ばんだ髪を撫でる。
お師匠のれいこさんの家がとなりにあるそうで、みつよさんが連れて行ってくれた。

 

 

れいこさんのアトリエは、光がさんさんと降り注ぐ。
麻のカーテンが、島の斜陽をやわらかくほぐして揺れる。

島の中でも有名な織女のれいこさん。
れいこさんの織物は、差し色が素敵。

「与那国織はね、表も裏も、模様が出るの」

それは、与那国織の特徴のひとつ。
表も裏も、花織の模様が出るので、裏地をつけなくても、美しい。

 


十人十色の与那国織。
アイドルグループじゃないけど、推しの織女さんを見つけて応援するのもありかもしれない。私は、ゆりこ担。なんちって。

 

 

れいこさん、溜まっている麻の仕事があるそうだ。
麻布を作る前準備、麻糸を「績む(うむ)」作業を見せてくれた。

一本一本、シャリリリ、シャリリリ、と繊維をより合わせて長い糸にする。
気が遠くなる作業。

手は休めず、口は楽しく。

島の女性たちも、昔はこうやって集まって糸をよっていたのかな。
れいこさんに、与那国島の織物について聞いてみた。

「絹糸は本土から仕入れていると聞きました。昔の与那国島では絹織物はなかったんですか?」

 

「いいえ、養蚕しているおばあちゃんたちはいましたよ。ただ、自分の家のためとか。大きな生産じゃなかったと思うけどね。」

 

そして、れいこさんはあの書物について話してくれた。

 

「なんで与那国島の織物に500年の歴史があると言えるか。それはね、朝鮮漂流民の書に残っているから。ちなみに、石垣島にも同じくらい古い歴史があっただろうと言われる所以は、与那国島にあったんだから、当然石垣島にもあるだろう、と言う推測からだそうよ。」

 

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与那国町伝統工芸館の年表にもあった、朝鮮漂流民の書。
どうしても気になったので、後日、東京の国会図書館へ調べに行ってきた。
数枚のコピーのために高速バスで2時間、どんぶらこ。

なぜなら、この本、現在はプレミアがついているのか、べらぼうにお高いのである。

https://twitter.com/todo_yu/status/1139846643266621440?s=20

(以下の内容については、沖縄織物裂地の研究/田中俊雄、田中玲子 著/図書出版 紫紅社 発行を参照。)

漂流民によると、1477年の与那国島は、古風な生活を送っていたそうだ。
鍋は、天日干しして藁火で焼いた土器。味付けは海水、葉っぱがお皿。ごはんは手づかみでぱくり。お酒は、映画「君の名は」で有名になった、口噛み酒。(同じ頃、沖縄本島では琉球王国が栄え、食器や箸が揃い、清酒、濁り酒、醤油等を使っていたそうだ。)

1977年といえば、応仁の乱が終わって、武将たちがほろ酔い気分でどんちゃん騒ぎをしていた頃。与那国島では、古代文化の宝箱のような生活を送っていたようだ。

織物については…

同島(与那国島)は、現代に至るまで絣をおり出さず、貢納布の時代も白地物だけを貢納していた耐え、同島はこの織物においてかなり特色のある発達を遂げました。

次ページには、与那国島独特のチェック模様、ストライプ模様の見本が並ぶ。
与那国島の伝統的な模様は、縞模様だったそう。これがモダンでかっこいい。

格子模様の名残が、青黒ギンガムチェック柄のドゥタティーなのかな…

大体、与那国島は、沖縄本島からは最もとおくはなれた一孤島であったために、いわゆる琉球の中央文化に影響されること少なく、また絣などを手がけなかったためか、ひとり縞のみを純粋に展開してきたのですが、沖縄織物に見られる縞ものの基準となる書構成は、同島においては自力で確立されていました。

この記述からすると、500年前の与那国島には花織がなかったらしい。(一方で読谷山の花織については記載があった。)

しかし、時代はすぎて、

またその「綾竹」と「紋綜絖」とを併用することによって、かの与那国島で織られた51の「眞田織」の「花織手巾」が織り出されました。」

と言う記述から、与那国島の織物は白地に縞模様・格子模様→花織が追加されたことが伺える。王朝の要請だったり、さらに現代のお着物需要だったり。

与那国島の織物は、伝統を頑なに守るだけではなく、時代に合わせて柔軟に織物を進化させて生き残ってきた。そのたくましい生命力と歴史と伝統の苗床が、与那国織を美しく花咲かせ、人々を魅了するのかもしれない。

 

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私たちの生活が変化すると、日用品も変化する。

伝統は、まるで生き物みたい。暮らしの環境の変化に合わせて進化を繰り返す。
みつよさんの月桃マットや、古書から、暮らしと日用品は常に変化して、伝統のタネは日々芽吹いていることを知った。芽が木となって残れば産業となり、伝統となり。やがては大木となって生活の変化とともに、朽ちていく。暮らしの品も、自然のサイクルの一部なのかもしれない。

小さな与那国島で、ガラパゴスのイグアナたちと目があったような気がした。

 

 

*  *  *

 

 

 

さぁ、せっかく日本の端っこまできたんだ。日本で一番最後の夕陽を見ようじゃないか。
みつよさんとれいこさんに挨拶をして、青い原付でトロロロ。西崎の灯台にやってきた。

 

 

これが日本の果て。こんなところまで、きちゃった。
頭がぼうっと、風の音も、鈍く聴こえる。

 

後ろを振り返ると、漁港。
あぁ、綺麗だな。

 

 

ふと、携帯を見るとショートメッセージがきていた。

 

「夕食」のふた文字を見た瞬間、お淑やかな胃袋が騒ぎ出す。

ホカホカのご飯や、地魚を想像して、よだれ。ご飯は出来立てが命。
急げ急げ。灯台の芝生坂を転がりながら、原付にまたがる。

 

 

車通りのないガランとした一本道を東へ。
空を見上げると、虹が出ていた。

 

与那国の神様。もしもいるなら、なんて言葉でお礼を伝えよう。

優しい神様は、すてきなものばかり見せてくれる。
もっと好きになっちゃうじゃないか。

 

明日はもっと深く、与那国島を探検してみよう。
どこまでも行ける。だって、原付があるから。

 

 

 

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実はこの日、暑すぎて、いろんな浜に入っていました🌊

一度だけ、着替えている途中、馬に乗った観光客さんと鉢合わせ。あわや「きゃーのび太さんのえっちー」になるところでした。(公然わいせつ罪で逮捕されなくてよかった)

次回の更新は月曜日!
\原付🛵与那国島探検3/ 〜探せ!与那国馬とプライベートビーチ(?)〜をお届けします。お楽しみに…!