#民藝旅 / MINGEI

民藝旅 vol.2 沖縄 \原付🛵与那国島探検 1/

 

丘の上の朝ごはん

目を開けて。
ミントグリーンの壁に、白い光が眩しい。

風の音だけが響く、与那国島の朝。
海の音はまだ遠い。

昼間の蒸し暑さが嘘のように、朝はひんやりと、心地良い。

 

食堂には、朝ごはんが用意してあった。
食パン、マーガリン、ブルーベリーといちごのジャム、コーヒー。

牛乳は自分で買ってきた。バナナはゆりこさんからのお持たせだ。

 

高く背伸びをして、建物の外に出てみよう。

 

丘の上の「さんぺい荘」は、日常系映画の舞台になりそうな、のんびりした雰囲気。

今日は、原付を借りて、島を探検しよう。
チェックアウトを済ませ、お迎えの車に乗り「さきはら荘」へ移動した。

 

 

 

ようこそ「さきはら荘」へ

「いらっしゃいませ!」
「小さいお部屋のご予約でしたけど、1番良いお部屋が空いたので、変えておきました!

女将さんの車から降りると、バンダナを頭に巻いた2人の女性が出迎えてくれた。

ここは、役場の裏にある民宿「さきはら荘」。
町の中心部に位置しているので、観光や仕事に便利な人気のお宿だ。

 

爽やかな朝の気分から一点。
荷物を運んでもらいながら、冷や汗が背中を伝う。

屋根裏の物置でさえ満足なのに、ロイヤルスイート…?

「おいくらですか?」と聞く勇気がでない。
頭の中で、お財布に入っている肖像画と枚数をかぞえながら、2階の角部屋に到着した。

「ここです、どうぞ。」

民藝旅史上はじめての1人部屋。しかも、サンルーム付きの大出世。
(歴代のお宿は、豪華な順に…相部屋のゲストハウス、駐車場、ファミレス、海岸。)

嬉しさよりも、お値段が気になって仕方がない。
ミジンコのように小さな心臓が、バクバクと鳴る。

お姉さんが下の階に戻ると、すぐさま部屋の扉を閉め、インターネットで「さきはら荘」と検索した。小さいお部屋との差額は1泊200円だった。ブラボー!

女将さんたちの嬉しい心遣いに足取りも軽く。
手提げを持って、原付バイクを借りに出かけた。

 

 

 

Dr.コトーに憧れて。

20歳の自動車教習所で乗って以来、久しぶりの原動付自転車。
教官の言葉を思い出す。

「お前はバイクに乗らない方がいい。バランスが悪い。」

教官、見ていてください。全力でこの原付を乗りこなしてみせます。
8年前の記憶を掘り起こしながら、二輪車にまたがる。
ブレーキよし、ウィンカーよし、サイドミラーよし。
それで、アクセルは手前と前方、どっちにハンドルを回すんだっけ?

操作に慣れるまで少し時間がかかったが、そろりそろりと走り出しに成功した。

 

 

運動神経に不安のあるもじゃもじゃが、どうして原付を借りたのか。

なぜなら、ここはドラマ版「Dr.コトー診療所」の島だから。
現在、フジテレビ系列で再放送中!
主人公のコトー先生が白衣を着て、崖っぷちの一本道を自転車で走るエンディング。
それが、子ども心を焦がして今でも忘れられないのだ。

コトー先生のように二輪車で与那国島を巡りたい。

けれども現実はちょっと厳しくて。
運動不足の絵描きが、初夏の南国で自転車をこいだら、どうなるか。
それこそ島の診療所のお世話になりかねない。

うーんうーんと迷った末、原付に挑戦してみることにしたのだ。
誰だって初めてのことはある。
これが「原付ことはじめ」になればいいじゃないか。
(一巻の終わりにならなりませんように)

時速30kmの安全運転。トロロロ…
青色の原動付自転車が、与那国の風に乗って走り始めた。

 

 

 

ヨナクニサンと大怪獣

まずは与那国岳の森林公園へ。

展望台から、島を眺めてみようと思ったのだ。
駐輪場に原付を停めて、自然豊かな与那国島の山道を行く。

ハブなどの毒蛇がいないので、安心して藪の中にザクザク入っていける。
与那国は、大冒険にぴったりの島なのだ。

 

与那国島は蝶が多い。
山道の両側は、新鮮な緑に溢れる。
花から花へと、多種多様な蝶(蛾もいるはず)が飛び交う光景は、まさにパラダイス。

しかも、与那国島には世界最大級の蛾がいる。
その名も「ヨナクニサン」。親近感のある名前だ。

話はそれるけれど、東宝三大怪獣といえば、ゴジラ・モスラ・キングギドラ。
ちょっと足を出してガメラもいい。その中で一番愛らしいのは、もちろんモスラだ。

溶岩石の黒い島と、巨大な蛾。
慈愛の怪獣モスラは、与那国生まれなのかも。

鬱蒼とした森の木陰から、ザ・ピーナッツの歌が聞こえる気がした。
(インドネシア語でした)

赤土の森を歩いた先に、探していた展望台があった。

けれども、この日は靄がかかっていて、海を見ることができなかった。


こんな時こそ、妄想の翼を広げてみよう。
ほら、海面が見えないから、まるで雲の中に島が浮いているみたい。苦しいかな?

 

 

 

与那国島で明かされる、茨城・笠間焼の過去

森林公園から比川地区へ向かう途中、小さな看板が目に入った。

「山口陶工房」

与那国島で、焼き物!
もじゃもじゃの手仕事アンテナがピンとたつ。
この坂道の向こうに、焼き物工房があるらしい。

意気揚々と坂道を登って行くと…

まるで、アンリ・ルソーの絵画。
鳥の声、ざわめく草木。

トラがひょっこり顔を出しそうな、鮮やかなジャングルだった。

 

 

「おじゃまします」

工房の中を見せてもらった。

 

 

とってもかわいい。
出西窯のようなモダンさがあり、どこか懐かしさがある。

親方と奥さんに話を聞いてみると、
お二人は以前、茨城県笠間市で作陶してたそうだ。
この懐かしい雰囲気は、地元・茨城の匂いだったのかもしれない。

そして、30年以上前の笠間焼の状況を教えてくれた。

 

「笠間焼は、民藝の益子焼とは反対に、クラフトの道を進んだんだよ。」

クラフトと民藝ってどう違うんだろう?

「当時の指導所は、新作の釉薬を開発したり、クラフト市を開いたり。民藝運動とは別の方向で頑張っていたね。」

 

 

〜〜〜〜

 

#民藝旅をはじめる時、noteで表明したサブプロジェクト、
「笠間焼は民藝品なのか?」

ここで一つのヒントが出た。
笠間焼は民藝とは違う道を進もうとしていた。
つまり、民藝の考え方とは違う、ものづくりの価値観で動いていたということだ。

今後、現地の職人さんや指導所の考えを聞いてみたい。

 

〜〜〜〜

 

 

まさか、与那国島で地元の焼物情報を聞くことができるとは…
嬉しくなったので、納豆味スナックをお渡しして、工房を後にした。

 

 

 

✂︎———————————————

今日はここまで。原付で転びませんでしたね。すごいです。偉いです。
明日は、もう2人の織女さん、みつよさんと、師匠・れいこさんのストーリーです。

みつよさんは作家。れいこさんは職人。
どうやら、与那国織の織女になるためには、厳しいルールがあるようです…

それはまた明日!

皆様の1日が素敵なものでありますように。もじゃ!