
複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。
廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。
労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
分業性。数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。
伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。
他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。
うーーん。むずかしい。
いいな、素敵だな、もっと知りたいな…と思っていた民藝が、とても遠く感じました。調べれば調べるほど、専門的知識がないと、民藝を語っちゃダメなような…お高い感じがしました。

このサイトが改装中だったので、疑問を持った直後の、熱っぽくて生々しい気持ちをnoteに書きました。(以下抜粋)
“民藝って、庶民の使う実用品に「素敵だな、美しいな」という気持ちを見出したもの。もっと身近なものだと思っていました。けれども、現代においては誰が「これは民藝で、これは民藝でない」と決めているのかよくわからない…個人の主観で「民藝」と呼んでいいのか、いけないのかわからないな…と思いました。また、作品が美術館に仕舞われてしまうと、それは民藝品ではなく、美術品になるのではと感じています。美しすぎて使えない。お値段が高すぎて手袋必須。それって民藝品なのでしょうか?
民藝品って、使ってなんぼ。壊したって、継いだり直したりして、また使う。そんな側にあるものだと思うのです。
また、上の定義で行くと、我が茨城県の笠間焼。何だか微妙な位置のような気がします。民藝は名を残さない。しかし笠間焼って、作家さんごとの良さがあって、「誰々さんの笠間焼が好き」といった風に作家にファンがついていることがあるんです。そして、一概に「これが笠間焼です」って特徴を言いにくい気がするんです。そうすると、笠間焼は定義から外れてしまって、民藝品とは言えません。けれども、民藝の一番はじまり「庶民が使う道具や器の中に美を見出した」ことに軸を置くと、私は笠間焼を庶民のための美しい手仕事品であるから、民藝と呼んでも良いのではないか。そう考えました。
一方で、もし民藝品を「継続可能な型のある美しい日用品」と捉えた場合、作家主体の手仕事は民藝ではなくなってしまう…「民藝」とは一体なんなだろう。そして、「現代の民藝」ってなんだろう?
私は、美しい手仕事にもっと出会いたい。まだ知らない民藝についてもっと学びたい。自分なりに、「民藝」について答えを見つけてみたいと思っています。”
青い。血管が何本かちぎれていそうな、まだ蒙古斑もついているかもしれない若造感。兎にも角にも、「民藝とはなにか」この一年をかけて調べることにしました。

↑問題の笠間焼。隠しておきたかった奴ですが、せっかくなので晒しちゃおう。
柳宗悦先生の「手仕事の日本」を参考に、日本各地の産地を訪ねて、民藝品の絵を描き、可能であれば作り手のインタビューを行いたいと思っています。そして、世界の人にも日本の手仕事に興味を持っていただけるように、英語でも情報発信をする予定です。
(日本在住の英国出身でご協力いただける方、ご連絡をいただけると嬉しいです。→yu.todo.japanあっとgmail.com あっとを@に変えてメールをご送信ください。)
20代の素人が、これから日本の民藝、手仕事を訪ね歩く自由研究。
どうか、温かい目で見守っていただけると幸いです。引き続き、よろしくお願いいたします。